Hondaの原点


▼ページ最下部
001 2019/12/02(月) 18:32:28 ID:aK5zRRlFG.
バタバタはこうして生まれた

https://www.youtube.com/watch?v=EMNnWjr2oyw

返信する

002 2019/12/02(月) 19:49:56 ID:oqSlMAIKls
これもFFですか?

返信する

003 2019/12/02(月) 20:35:01 ID:P/8BnmcHDU
>>1で登場する補助エンジン付き自転車の画像

上段が“バタバタ”と呼ばれたエンジン付き自転車(1946年10月)
下段右はそのエンジン(旧陸軍6号無線機発電用小型エンジンを改良したもの)
下段左は本田宗一郎設計のA型エンジンを搭載したエンジン付き自転車(1947年3月)

返信する

004 2019/12/02(月) 20:40:57 ID:aK5zRRlFG.
【エピソード一覧】
Vol.1 夢の始まり
https://youtu.be/EMNnWjr2oy...
Vol.2 二つの夢が出会う 〜本田宗一郎と藤澤武夫〜
https://youtu.be/3jeaE20PsC...
Vol.3 経営の危機とマン島出場宣言
https://youtu.be/rhzRb-qqA2...
Vol.4 いざアメリカへ 〜巨大市場を開拓せよ〜
https://youtu.be/X7X0TwYvV2...
Vol.5 来た、見た、勝った
https://youtu.be/UtePozoVQK...
エピローグ 〜旅立ち〜
https://youtu.be/aUZyxb_XeR...

【Honda原点コミック 再生リスト】
https://youtu.be/Yd3rsi4Wnk...

返信する

005 2019/12/02(月) 20:43:47 ID:JnpjxN7Fvk
>>3
これが原付なんだね
制限速度30kmは理解できるね

返信する

006 2019/12/02(月) 21:00:50 ID:P/8BnmcHDU
因みに(>>4を全部見ておらず、そのエピソードに触れているか不明だが)
本田宗一郎は大の水冷嫌い。
四輪で水冷エンジンが常識化していた時代でも「水冷だって、水を空気で冷やすんだから、空冷の方が合理的だ」と自論を譲らなかった。

社長の自論に逆らえない技術者はDDACなる一体構造二重壁空冷方式を開発したが、
それは構造が複雑で水冷よりも重い物になってしまい、とても合理的とは言えない代物に。

合理的な水冷方式に移行するために、技術者は宗一郎の説得に大変苦労したという逸話がある。
(水冷四輪が出た直後にマスキー法の排ガス規制が施行されたから、遅からず水冷に移行したとは思うけど…)

返信する

007 2019/12/02(月) 21:05:54 ID:UNz3sXEEeE
本田宗一郎と吉村秀雄の
お話しは面白いね。

返信する

008 2019/12/02(月) 21:54:34 ID:P/8BnmcHDU
>>7
社長時代はずっと4スト一辺倒だった宗一郎と
「肺と消化器管がいっしょの原始生物みたいな代物」と2スト嫌いだった吉村秀雄は通じるものがあるね。

技術者としてお互いにシンパシーを感じていたからこそ、当初吉村はホンダレーサーのチューニングを手掛けていたんだと思う。
それだけに、ホンダがHRCの前身であるレーサー専門部署を組織した時、
吉村としては「裏切られた」という気持ちだったらしいけど。

返信する

009 2019/12/03(火) 00:30:22 ID:z7P/CbE6CU
旧日本軍の無線用発電エンジンスゲー!

返信する

010 2019/12/03(火) 08:41:44 ID:qQh13B5QWg
Hondaの原点の最後はこれかな?
この後2ストに切り替わったし・・・

返信する

011 2019/12/03(火) 09:19:15 ID:qoOOyiWQEo
>「肺と消化器管がいっしょの原始生物みたいな代物」
人間の喉だって食道と気道と発声器官を一緒くたにしたクソ仕様じゃん。
これらがすべて独立器官になってる昆虫こそ、神の本来の意向を反映したデザイン。

返信する

013 2019/12/03(火) 21:30:56 ID:EP2hIH.b4Y
>>11
え〜と・・
う〜んと.・・ちょっと言葉が見つからない。

返信する

014 2019/12/03(火) 23:13:54 ID:X0okA7sDZM
終戦から10年。まだ国際社会では日陰者扱いの日本であった。
その敗戦国日本に国際舞台へ復帰するチャンスが巡ってきた。
南極観測。与えられた上陸箇所は英米が上陸不可能とした海岸、
氷点下50度、秒速100メートルの暴風が吹き荒れ、オイルさえも凍る極寒の地だった。
昭和基地と名付けられたその日の丸のもとで、
隊員たちの生命を守り、研究を支えたのは
ブリザードの中でも回り続けたHONDA製の風力発電機であった。

これもまた今に続く、熱きホンダスピリットだと思う。

返信する

015 2019/12/04(水) 00:06:33 ID:1rC6iEWUgE
>>14
現在のSONYである東京通信工業所の盛田昭夫、井深大氏も
無線機はすぐにバッテリーが上がるので、極寒の南極でも使えるバッテリー式受信機を
トランジスターラジオの技術をいかして無償で提供してるよね。

返信する

016 2019/12/04(水) 02:37:16 ID:hXf2V3eko6
そのホンダも、今や顧客目線よりコストダウンで儲けを優先する企業に成り下がった
新車で錆びてる車売るなよwww

返信する

017 2019/12/04(水) 02:42:22 ID:lDTSiXpVoU
14>15
ホンダが提供したのは発電機だけではなく、荷物を運ぶためのソリもその一つだった。
他国もソリを使っていたが、それらは木製で過酷な環境では長持ちしなかった。
ホンダのソリはFRP製で、当時ジュノオの生産で蓄積されたノウハウは日本有数のものとなり、
その走破性能と耐久性において隊員たちに非常に重宝された。

返信する

018 2019/12/05(木) 00:12:18 ID:WT.9hGqfDY
このホンダの自転車バイクって
自転車の本体はどこのメーカーだったんだろうかと。
外国製?国産?自作?

返信する

019 2019/12/05(木) 12:17:42 ID:HYu0sFCZlA
ヤマハの歴史
なんで発動機や家具とかも作ってるかというと、

・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る
・エンジン作ったから→バイクも作る
・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る
・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る
・プールの水濁ったんで→浄水器作る
・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖始める→バイオ事業化

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:12 KB 有効レス数:25 削除レス数:2





バイク掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:Hondaの原点

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)