「アメ横」飲食店7割が外国人経営中国系多く
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001   2024/06/15(土) 18:56:07 ID:7W81KVuLT.   
 
「アメ横」飲食店7割が外国人経営…中国系多く 老舗の鮮魚店は激減 
 年末には数十万人もの人々が集まるアメ横商店街が大変貌を遂げています。昔ながらの鮮魚店などは数えるほどで、最近は多国籍化した飲食店が急増しています。 
 “飲食店7割”が外国人経営 
  東京のJR上野駅からJR御徒町駅までの高架沿いに、およそ500メートル続く「アメ横商店街」。400ほどの店が軒を連ね、連日多くの人でにぎわう人気スポットですが、ここ数年である変化が起きています。   
  それが店舗の多国籍化。様々な国の飲食店が立ち並ぶエリアとなっているのです。中でも多いのが中国系の店です。   
 台湾からの観光客 
 「観光で日本に来ましたが、中華料理が恋しくなって食べにきました。味は本場とそっくりです」   
 串串香屋 店員 
 「アメ横だったら外国人の方も多いし、日本人のお客さんだけではないから(商売は)やりやすい。中国だけじゃなくてベトナムとかミャンマー、タイとかフィリピンの方はよく買ってくれる」   
  アメ横商店街の副会長を務め、33年間、革製品を販売している千葉速人さん(69)によりますと、飲食店はここ数年で急増したといいます。  
https://news.yahoo.co.jp/articles/eec3af3b89d2233f46e30... 
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002   2024/06/15(土) 19:26:11 ID:HuqqgU/roM    

これはもう駄目かもわからんね!
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003   2024/06/15(土) 19:39:06 ID:KxM54CrofQ    
[YouTubeで再生]

「東京の歴史を探る」という話をしたら、江戸時代から始まるのがふつうな気もする。だが、残念ながら現代の東京に江戸の町並みはほとんど残っていない。江戸時代はおろか、明治・大正の町並みすら残っていない。なぜだろうか。いろんな要因があるだろうが、その一つが「第二次世界大戦」である。東京大空襲をはじめとする空襲で、ほとんどの建物が焼けてしまったのだ。   
 さて、戦争が終わり、一抹の開放感はあったものの、何よりも大事なのは自分や家族の命、今日のご飯と明日のパンツである。そういった事情から、東京の駅という駅の周りには闇市が立った。アメ横には終戦当時、関西からやってきた朝鮮人が多く集まっていた。朝鮮人たちを中心とする第三国人は、仲御徒町の線路沿いで石鹸を売っていて、その一帯は石鹸町と呼ばれていた。やがて、復員軍人や中国からの引揚者からなる近藤マーケットが第三国人をアメ横から追い出す。この近藤マーケットが、今のアメ横へと発展していった。   
 追い出された第三国人はどこに行ったのかというと、アメ横から大通りを挟んだ反対側にキムチ横丁という街を作った。ここで重要なのは、終戦後の上野には外国人、特に朝鮮人が多かったこと、そして、彼らはアメ横から追い出されても、上野にとどまり続けたことである。すなわち、上野は闇市の時代から、朝鮮人をはじめとするアジア人の集まる街になったのである。  
http://knock88.xsrv.jp/wp/2019/03/06/%E6%96%B0%E5%AE%... 
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004   2024/06/15(土) 21:15:25 ID:IJOvuQLrTQ    
005   2024/06/16(日) 12:13:01 ID:9Au5ZrUxGc    
 
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