91歳の女将が仕込む“ジンギスカン”
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001   2024/06/13(木) 00:54:54 ID:oRSO3j7Phs   
 
91歳の女将が営む人気食堂!看板メニューは“秘伝の味噌ダレ”を使ったジンギスカン「100歳まで続けたい」【新潟・胎内市】 
 新潟県胎内市にある「志まつ食堂」ののれんをくぐると…厨房で仕込みをしていたのは女将の嶋津美恵子さん、御年91歳。   
 仕込んでいたのは、1958年に創業して以来、66年もの間、店の看板メニューとなっているジンギスカンだ。 
 「この機械も60年以上使っているから、ポンコツになっている。(忙しい時は)30kgくらい肉を切る。無我夢中」 
 定休日はなく、早いときは朝5時に仕込みを開始するという嶋津さん。   
 そんな嶋津さんが守り続けているのは、創業当時から継ぎ足ししてきた味噌ダレだ。 
 客から愛されているのは味だけではない。   
 20年以上通う常連客は「ばあちゃんに会いに来ている。ファンが多い」「元気だなと思って、いつも覚えていてくれる」と、嶋津さんに会いたくて通う客も多いようだ。   
 嶋津さんに長年続けてこられた原動力を聞くと、笑顔で答えてくれた。   
 「お客様だね、お客様がいっぱい来てくれるから。とにかくいつでも楽しい。楽しくてしょうがない。人が来てくれるから嫌な日はない。今のところ健康そのものだから、欲張り100歳まで何もなければ続けたい。(今年)92歳になる。一年はあっという間だから大丈夫だと思うんだけど」  
https://news.yahoo.co.jp/articles/40126b4d515d72a3b6ecd... 
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004   2024/06/13(木) 07:38:49 ID:UdmRB.kzNM    
どうせ朝鮮人だろうと思ったら、、、、、、嶋津って名前なのね 島津藩の侯爵令嬢だったりするのだろうか
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005   2024/06/13(木) 09:22:15 ID:Ubo5LG1cwU    
>>3  戦前から「成吉斯汗鍋」はあった。当時のものは鍋を火床にして網を渡しそのうえで羊肉を焼く料理。中国東北部の「烤羊肉」を日本に紹介するときに命名されたという。「素人に出来る支那料理 大正15年より」 
 だからこの店のような網焼形式は鍋形式より原型に近い黎明期ジンギスカン「鍋」といえる(確かに違和感あるけどw)   
 中央部凸のジンギスカン鍋を始めたのは成吉思荘(東京杉並 昭和11年~平成6年)と言われ、戦前に洋装化により多数飼育された羊の肉利用を目的として徐々に広がっていった。 
 本格的な普及は北海道では昭和30年ごろからで、ベル食品がタレの販路拡大のため鍋の貸し出しを行ったりして普及につとめたという。 
 その後じわじわと全国に広がり、昭和50年ごろには全国的知名度を得た。 
 2000年代に入ってちょっとブームあったけど、今は終息しちゃったね。 
 この店もちょっといってみたいけど新潟は遠いわOrz
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006   2024/06/13(木) 09:47:22 ID:oEV9NatKx.    
007   2024/06/13(木) 09:54:24 ID:jPzuzbvOm6    
 
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